かけがえのないあなた
この世界は多様性に満ちています。
そして常に相対的です。
常にカチッとはまるように、それぞれにそれぞれのはまる場所があります。
これは実際に自然界の動植物などをみるとわかりやすいです。
自然界には無理数があります。
幾何学的な模様をしたもの、
ヒトデや植物の花の形、オウムガイの巻き、
蜂の巣のハニカム構造、石の結晶など。
無理数は割り切れない数です。
πや√などがそうです。
3.14・・・と続く数字はずっとどれだけいっても割り切れません。
調和的なのに割り切れない。
続いていく数。
ここに未知の進化の可能性をとても考えさせられます。
人間も同様に自然界の一部を担っています。
忘れているかもしれないですが、
人間は自然の多様性の一部です。
仏教では無我という境地があります。
無我は悟りです。
無我はこの世は無常であり、常に変化していく。
変わらないものはない。
自分を保っている自我というのも、
また同じ様に相対的であり常に変化する。
これが無我です。
対して虚無という考え方があります。
これは簡単にいうと自分という存在は無い。
この世は夢か幻のようなもの。
元々存在しないんだからこの世界にいたって意味ないじゃない。だからもう退場しよう。
この様な考え方です。
この仏教の無我の境地と虚無的な考え方は、
一見とても似ているようでまったく異なります。
仏教でいう無我というのは
この世界は様々な縁が元でできている。
例えば、私という存在がここにあるのは
ご先祖様達が出会って結婚して子供を作り、
それが今までお父さんやお母さんまで繋がれてきて、私という存在がいるのです。
これを縁起とよび、
自我というのもまた縁起によって成り立っているものであり、相対的で常に変化し続けるものである。
だから変わりゆく一瞬一瞬を見つめ、常に変わっているということを実感しよう。
常にどんなものも変化し続ける、
ということを実感することで、物事に過剰に執着することも無くなり、
変わりゆくからこそ、その縁起と、その二度と無い、かけがえのない瞬間瞬間を大切にして感謝し生きる事ができる。
この様な考え方です。
虚無的な考えというのは
自分という存在は元々いないのです。
自分と認識しているものは錯覚です。
それに気づきましょう。
今目の前に現れている事象は夢か幻のようなもの。
なにをやっても努力しても意味がない。
この様な考え方です。
虚無の中には、世界の中に自分は存在していません。
だから幸福感を実感する事が出来ない。
世界の中に自分がいるという臨場感がないのです。
無我でいうところの相対的というのは
自分も含めて、みんな相対的という事です。
自分がいないのではありません。
世界の中に自分を含めてあげましょう。
世界は自分も含めた多様性の中で、
相対的に調和的に成り立っているのですから。
世界に自分も含めた時、自分を構成する在り方、自我というものをどうしていきたいのかを考える。
在りたい自分、なりたい自分、自由自在に変える事ができる。
自分はこの世界を構成する一部分。
大事なかけがえのない世界の構成要素なのです。
そして瞬間毎に自分も世界も変わっていく。
幸福感を実感すれば世界も幸福感に包まれます。
逃避ではなく、自分のあり方を自由自在にかえれば世界もその様に自由自在に変化していく。
かけがえのないあなたなのです。
【私の好きな言葉】
宇宙を入力として、自分を出力とすると
自我は自分を出力するための部分関数である。
意識の変容
新しい自分を発見
自分を変える
道に迷っている
生きる指針を知りたい
自分軸を見つける
人間関係、仕事、恋愛、お金のこと